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高校国語 分割すれども偏らず

今回「は」独り言っぽく。
いや、今回「も」かもしれません(笑)
3月30日付新聞の一面「高校国語論理・文学分割」について。

いろいろ議論や意見があるなか、「やはりやるのか」という印象。

個人的には、
『これからは「認知脳」の外部化=AI化が進むから、「非認知脳」を鍛える時代だぞ〜!』
と生徒達にも伝えてきたので、文学への取り組みが軽くなる可能性には少し違和感も。


ただ、この是非は一旦おいて、以前から教育環境、もっと大きく「子育ての場面」の様々事柄で
分割・特化、さらに低年齢化が加速しすぎているように感じる、
そんな「感覚的な」問題意識を個人的にずっと持っている。

感覚的という表現をするのは、分割・特化が「偏り」に繋がらなければ良いが…という「杞憂」のような懸念に基づいているからですが。


我々は生きていると多かれ少なかれ「偏るもの」だとも思うし、そういう「偏り」は「夢中」とも表現できそうなものなので、一概にネガティブに捉えているわけではない。
がしかし、
早期の偏りは、その後に弊害が多いようにも感じる。
人生ではいずれ偏らざるを得ない時期を迎えるので、なるべく遅い方が「寄り道的」発見が多いのではないか、とも思う。

またふと『荘子』に出てくる【蛄(ケイコ)春秋を知らず】という言葉も浮かんできた。

※蛄(夏ぜみ)夏だけの命で、夏しか知らない。
そんなセミは春と秋を知ることはできない。
夏しか知らないと、夏以外があると知ることができない。

強引な言い方かもしれないが、論理をより良く学ぶためには、文学のような世界もバランス良く学ぶ必要があるのだと思う。

そうしないと、論理の「限界・危険性」も感じられなくなるのではないか、とも。

論理的な整合性を追求する一方で「我田引水的」「排他的」な論理が横行しないような導き方も必要だと思っています。



かく言う私自身が「独断」と「偏見」や「杞憂」に満ち、それこそ正に「我田引水的」(笑)、な意見を述べていますけれど。

自戒をこめて、そっと申し上げます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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